いずれも。

あれもこれも、いずれも必然。

【おおかみこどもの雨と雪】おおかみこども、かわいかったー!では終われない。

この映画をぼんやり観れるボクはシアワセな人かも?

前から見よう見ようと思いながら、スルーしてしまってたおおかみこどもの雨と雪がテレビ放映されてたから、ようやく見ることができた。せっかくだから、感想でもブログに書いとこうかなぁと思ったときに、この記事が目についた。

 

 
 
このように「マイノリティマジョリティ迷惑にならないように出て行け」というメッセージ実写映画でなされるならここまで気分を害することもなかったと思う。
この作品の気持ち悪さというのは、アニメ監督というマイノリティに、マジョリティ側が「(子育て中という)マイノリティを否定する映画を作らせたことにあると思う。

さっと読むと何が言いたいのかさっぱりわからなかった。

 

要するに世の中でも少数派であるアニメ監督が、子育て中という少数派の立場にある人を迫害する映画を作ったのが気持ち悪いということ?ボクが読解力が乏しいのかもしれないけど、ここまで横文字を連呼すると、本当に言いたいことが、人にはほとんど伝わらないんじゃないかなぁ。

 

あと論点が明らかにズレている。この映画では、おおかみこどもという特殊性ゆえに街から離れて暮らさざるを得ない、また、人と距離を置かざるを得ないやりきれなさを描いているわけで、普通の子育て中の人を迫害する意図があるわけじゃない。

 

どうあっても受け入れられない特殊な境遇の中、それでも、ささやかな田舎の人々とのふれあいがあり、秘密を知っても肯定してくれる人もいるということに、もっと目を向けられたらいいのになぁと思ってしまうのは、ボクがたぶん、シアワセで楽観的に生きているからなんだろうな。

 

ボクは単純にひたむきな母親の愛情に感動したし、姉は人として生きることを選び、弟はおおかみとして生きることを選び、と別々に生きていくしかない宿命のようなものが切ないと思った。誰もがいつかは1人で生きていかなきゃいけないけど、もう少し3人で思い出を作れる時間があったらよかったのになぁとは思ってしまう。

 

それと話を戻すけれど、この映画をマイノリティとマジョリティの対立の構図というなんとも味気ない視点でしか見れないのは、とても悲しいことだと思った。

すさまじいまでに普通に家庭を営んでいる私たちへの敵意が感じられる。

「すさまじいまでに」という言葉の使い方があまりにも異質でなんだか普通への執着を感じるし、あまりにも強い社会への警戒心から、この筆者はおおかみこどもほどではないとしても、なんらか特殊な境遇を持った人なんじゃないだろうか。ボクみたいに平穏に生きてる人間は、こんなに激しくマイノリティとマジョリティなんて意識してないもんな。

 

まぁ、読まれることはないだろうけど、ボクのこの文章からも敵意を感じるのかもしれないな。

はてなブログがボクに思考させる。

子供が「母性」を学ぶ物語~おおかみこどもの雨と雪 - ゆーすとの日記

結論として、この映画は「子供たち」に対しわかりやすく「母性とはこういうものだよ」と伝えるための映画だったんじゃないかと思います。怠惰や無責任さはあえて取り除き、美しくて純粋な母性だけを残した。これだけシンプルなら確かに子供も「母性ってこういうものなのかな」ってわかると思うのです。(ゆーすとの日記)

ゆーすとさんの考察は深いなぁ。子供が母性を学ぶ映画というのはなるほどー!と思ってしまった。ただ、自分に当てはめてみるとボクはバカな子供だったから、単なるおとぎ話として楽しんでおしまいだったかもしれないという気はする(苦笑)あと、花に対してこんな完璧に自我を捨てられる人はいないだろうと感じてしまうのは同感かな。

 

それにしても映画の感想を書こうとするとかなり「はてなブログだからこそ」というのを感じる。どういうことかというと、ボクは感情が先走る人なので、たぶん、はてなブログじゃなかったら「おおかみこども、かわいかったー!」と頭悪そうな感想を書いておしまいだったと思う。

 

はてなブログには、思考のトリガーとなるものがそこかしこに転がっていて、感情先行タイプのボクにすら、こんな文章を書かせてしまう空気がある。はてなブログおそるべし!