いずれも。

あれもこれも、いずれも必然。

自分はゆるすぎるから、真逆の酷評タイプのブロガーにちょっと憧れる。

ボクは全般的に要求レベルが低い人間だ。どういうことかというと、何に対しても評価する基準がゆるくて不満に感じることが少ないのだ。だから、気をつけないと何をやっても「うれしかったです!たのしかったです!」と小学生の日記みたいになってしまいそうになる。

何を食べてもうまいと感じてしまう。

人と話してると、よくどこそこのメシはうまいとか、まずいとかそんな話になる。
 
たとえば焼肉。みんながチェーン店の食べ放題の肉なんて食えたもんじゃない、とか盛り上がってるのを聞いてしまうと、話題に入れない。ボクはいつも喜んで食べてるから。
 
たとえば寿司。寿司の話になると、ボクがよく行く100円の回転寿司なんか論外!という空気になる。十分美味しいと思うんだけどなー。
 
こんな感じなので、食べログとかで「まぁ普通」とか書かれてる店に行っても、ボクにしてみれば十分美味しいと思えることが多い。こんな調子だから「いい店知ってる?」とか聞かれると非常につらくて、逃げ出したくなってしまう。

何を見てもおもしろいと感じてしまう。

映画レビューとかでやたら酷評されてる映画を覚悟して見てみたら「なんだ、結構おもしろいじゃないか」と思うことがかなり多い。まぁ、覚悟して期待値を下げまくって見てるせいなのかもしれないけれど。
 
映画の場合もオススメとか求められると、ちょっとツラい状況になる。あまりありきたりのものは薦めたくないし、かといって自分は評価が甘すぎるから、人にとってはつまらない映画を薦めてしまう可能性が極めて高い・・・とか悩んでしまう。

人に対しても、あまり何も求めない。

仕事の場合は職務上要求しなきゃいけないことがあるから、それは別として、プライベートではほぼ人に要求することがない。たとえば好きな異性のタイプを聞かれても、かなり答えに困る。奥さんに対しても「もっとこうしてくれよ」とか1度も言ったことがない。逆に言われることは時々あるけど(苦笑)

酷評タイプのほうがブロガーとしてはおもしろいかも。

簡単に満足を得られるってのは、まぁ、シアワセなことだよなーと思う。逆に何に対しても酷評してる人はそれでシアワセなんだろうか?
 
あぁ、そうか。どっちがシアワセか不幸かの話ではないな。ボクはシアワセをちょこちょこ感じる生き方だけど、酷評するタイプの人は厳選したものを手に入れて味わうとき、一気にシアワセを満喫するんだろう。たぶん。
 
でもなー。ブログを書くには酷評タイプのほうが書くことに困らなそう。そういう人が書いたエントリーは極端でおもしろいし、何かのレビューも参考になることが多い。Amazonのレビューとかも、星が少ないものを注視するしなー。まぁ、行き過ぎると炎上するのかもしれないけど。
 
まぁ、ただのないものねだりだな。
だいたい肯定的な人はみんな小学生日記を書いてるかといえば、そうじゃない。自分の稚拙さをタイプのせいにしてたら、まったく向上しないじゃないか。
 
酷評タイプをめざすんじゃなく、たとえばグルメリポートでうまい!しか言えない人からの脱却!それがボクの目標だろうな。