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いずれも。

あれもこれも、いずれも必然。

トラウマは、存在しない・・・のだろうか?

人生観 書評・読書・Kindle

過去のツラい体験が足枷となって、自分の思い通りに生きられない。いや、むしろ自分の思いすらもよくわからないまま抜け殻のように生きる。そんなトラウマを抱えている人たちが存在することをボクは受け入れてきた。実際にそういう人に出会ったこともあるし、ドラマや映画では頻繁に扱われるテーマでもある。トラウマを乗り越え、何かを成し遂げる姿に涙を流したりもする。

嫌われる勇気

嫌われる勇気

 

アドラーの目的論は「これまでの人生になにがあったとしても、今後の人生をどう生きるかについてなんの影響もない」といっているのです。じぶんの人生を決めるのは、「いま、ここ」に生きるあなたなのだ、と。(嫌われる勇気)

これは衝撃だった。たしかに理想として過去に縛られず、前を向いていこう!という考え方はあるとしても、それはあくまでも理想であって、やはり過去には抗いがたい力があって変わりたくても変われないのだ、という思いをボクは肯定してきたから。しかし、アドラーの目的論では、人は必ず何らかの目的に沿って行動している。「変わらないことを選択しているから、変われないのだ」ということになる。

 

たとえば、ボクは幼い頃、犬に噛まれて左足の肉を食いちぎられ、大怪我を負ったことがある。その後は犬が怖くてたまらなくなった。吠えられたら逃げ出すし、犬がいる道は避けて遠回りしたりしてた。この場合、幼いボクは「犬に近づかないという目的のために犬を恐れてた」ということになるんだろうか。どうもよくわからない。近づかないじゃなくて近づくことができないんだ、とどうしても思ってしまう。アドラーの目的論をまだボクは正しく理解できてないみたいだ。

 

ただ、ちゃんと理解できてないのにアドラー心理学がボクの心をとらえて離さないのは、凝り固まった自分の価値観に切り込んでくる鋭さがあるからだ。この「嫌われる勇気」の青年のように反発したくなる自分をまず感じるけれど、一方では一理あるなと受け入れようとする自分も感じる。

 

トラウマの話に戻そう。過去の体験がこれからの自分をすべて決めてしまうとすれば、どんな努力をしてもムダだし、生きる意味を見失いそうだ。実際、そう感じて絶望して自ら命を断ってしまう人もいる。でも多くの人は半分あきらめながらも、半分は期待して日々をすごしているだろう。ボクだってそうだ。

 

だから、まだ素直に受け入れることはできないけど、自分の人生を決めるのは「いま、ここ」だと信じたい。人はいつでも変われると信じたい。もっとしっかり読み込んで、具体的に行動して「信じたい」じゃなくて自分の中に理論として取り込んでいきたい。わからないなりにブログに書いてるのは、そのためでもあるしね。

 

ただ、自分の思想を変えることはできたとしても、トラウマを抱えて苦しんでる人に向かって「トラウマなんて存在しない。自分でそうありたいからそうなってるだけだよ」なんてことは言えないし、言いたくないなぁ。そんな「嫌われる勇気」はいらない。

 

まだまだ考えたいテーマはたくさんある。自分の価値観をゆさぶる「嫌われる勇気」はここ数年で出会った本で一番おもしろい!と言ってしまっても言い過ぎじゃないかもしれない。