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いずれも。

あれもこれも、いずれも必然。

「そもそも」は使用上の注意をよく読んで使いたい。

「そもそも」が発動すると、場が凍りつく。

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また、はじまってしまった。いつも部長が「そもそも」と言い始めると場が凍りついてしまう。誰もが口を閉ざしてしまい、どうにも重苦しい空気が流れる。そんな状態にイライラして、怒涛のダメ出しがはじまる。こうなると、もう前向きな議論ができる状態じゃない。

「そもそも」には今、目の前で語られてることをすべて吹き飛ばす力がある。大事なのはそこじゃないだろ。揃いも揃っていつまで枝葉の議論続けてんの?という思いがまずあって「そもそも」と切り出すわけだから、見下された人たちは面白くない。でも、言ってることは的を射てるし、部長に正面切って反論しようとするのも躊躇われる。だから、場が凍りつくわけだ。

そのまえに「たしかに」を発動する。

こんなふうに書いてしまうと、「そもそも」と切り出すことは悪だと捉えてしまいそうになる。だが、そうじゃない。議論していく中で本質からズレていくことはよくあるし、むしろ「そもそも」と問い直すことは大事だ。ただ、これは否定を伴う言葉だから、人に配慮しながら慎重に使ったほうがいい。

いきなり「そもそも」を発動させるんじゃなく、そのまえに「たしかに」を発動させてみてはどうだろう。たとえばこんな感じ。「たしかに」そうだ。それはなかなか有効な対策かもしれない。ただ、ちょっと視点を変えて「そもそも」この作業はなぜ必要なのか、やめることはできないか?ということも考えてみてはどうだろう?・・・とかね。

そうはいっても、まったく的外れな議論へと暴走してるときに「たしかに」なんて言えるはずないじゃないか!ってときもある。まぁ、そんなときは「なるほど」でも発動して、とにかく一呼吸おいて、落ち着いて「そもそも」を発動させよう。せっかく正しいことを言おうとしてるんだから、焦らずに人が受け入れやすい空気を作って効果的に主張したほうがいい。

自問自答するとき「そもそも」は便利。

相手があるときには、使用上の注意をよく読んで使わなきゃいけない「そもそも」だけど、1人で自問自答するときには、これほど便利な言葉はない。なんか思い悩んでどうしていいかわからない。ふんがーっ!!ってなってしまったときに「そもそも」を発動させると、急に道が開けたりすることもあるもんな。

ただ、究極に堕ちてるときは「そもそも」オレなんか生きてる意味あんのか?なんていう使い方をしてしまいそうになるので、これも注意が必要だ。

いやー、それにしても「そもそも」についてこんなにマジメに考えたのははじめてだ。この4文字だけで、場を全否定できるって考えると、ホントにパワフルな言葉だ。でも、十分人に配慮して「そもそも」を発動した後に続く主張が、てんで的外れだったらカッコ悪いことこのうえない。使い方を考える前に「そもそも」本質を見極める思考力を磨かなきゃ意味ないなぁ。