読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

いずれも。

あれもこれも、いずれも必然。

「人の命を奪ってはいけない」とどうやって教えたらいんだろう?

人生観

どうやって学んだんだろう?と思うこと。

信じられないような動機で人の命を奪う事件が後を絶たない。もはや、興味本位でしかないような動機を聞かされても「またか」と思うだけで、驚きもなくなってきた。恐ろしいことだけど、慣らされていると感じる。

ふと考えた。ボクだって幼い頃は結構残酷なことをしていた記憶がある。昆虫を虫カゴいっぱいになるまで捕まえてきて放置。そして、死んだらポイ。だけど、その残酷さを持ち合わせたまま大人にはならなかったし、どうやって学んだかは覚えてないけど、人を昆虫のように扱ってはならないとは理解していただろう。

この「どうやって学んだかは覚えてない」ことがとても大事で、ほとんどの人たちがいつのまにか「人の命を奪ってはいけない」ことをアタリマエのこととして生きていく。だから基本的には平和で安全な世界が成立してるわけだ。時々不安になるけれど、自分が親になったとき、どうやって学んだか覚えてないことを、どうやって教えればいいんだろう。

教える人がいなかったから、邪悪な人間が生まれた?

なんで急にそんなことを考えたかというと、貴志祐介さんの「黒い家」に「教えてくれる人がいなかったから」邪悪な人間が形成されてしまったと理由づけし、理解しようとする人が出てきたからだ。

黒い家 角川ホラー文庫

黒い家 角川ホラー文庫

「あの人は、きっと物心つく前から、ああいう扱いを受け続けてきたんだわ。だから、そういう生き方しかできなかった。まわりには誰も、人を傷つけたり殺したりするのが悪いことだって教えてくれる人がいなかったんだと思う」(黒い家)

自分が監禁されて殺されそうになっても、その相手の境遇を考えることができるってのはちょっと凄すぎてボクには真似できそうにない。しかし、そうやって頑なに「生まれつき邪悪な人間なんていない」と信じ続けることにどれだけの意味があるんだろう。

はっきりいって、その邪悪さが生まれつきなのか、そうじゃないのかなんてボクにとってはどうでもいい。それが自分や自分の大切な人たちに対して、害をなす存在だとしたら、相手の境遇を慮るよりも、できるかぎり遠ざけるための努力をするだろう。

ただ、もし、本当に教える人がいないことで、この「黒い家」に出てくるような残酷極まりない人格が形成されてしまうのだとしたら、親の責任はとても重いな。それは他人事じゃなく、いつかは自分も直面する問題だ・・・と思いはじめて冒頭のように考えこんでしまったというわけだ。まだ気が早過ぎるんだけどね。

生まれつき邪悪だとしたら、手の施しようがない。生まれつきじゃないとしたら、教えることはとても難しそうだ。親になるっていばらの道だなぁ。