いずれも。

あれもこれも、いずれも必然。

罪悪感がいつのまにか屈辱感に進化してしまうのを回避したい。

ボクは何度か書いたかもしれないけど、倉下忠憲さんのファンである。とはいえ、お金を払ってメルマガを読むのはけっこう抵抗があって、なかなか踏み出せずにいた。何がきっかけだったんだろう?とりあえず読んでみて、これはちょっと自分には合わないなと思ったらやめればいいじゃないかと急に開き直ったんだっけ。

毎週なかなかの文章量のメルマガが届くので、読み切れないときはしょっちゅうある。体調崩してたときに届いたものは、いまだにちゃんと読めていない。読めない状況がずっと続いたらやめようと思ってるけど、今のところ遅れながらも読んでいるし、毎回のようになにかしらひっかかるものがあるから、自分にとっては価値あるモノなんだろう。

そのメルマガを開いてみると、いつものように楽しいとりとめのない話が続いた後、「罪悪感と屈辱感」というタイトルで文章が綴られていた。ふむふむ。やばい。なんだか心がひりひりするぞ。どうした?

脱線的なことをしたときに、「自分は今悪いことをしている」という気持ちだけでなく、「自分はダメな人間なんだ」と感じるようなら要注意です。そういうセルフマネジメントはいったん撤退した方がいいかもしれません。でないと、ずぶずぶ悪い方向に進んでしまう可能性があります。(Weekly R-style Magazine ~プロトタイプ・シンキング~2016/05/30 第294号/倉下忠憲)

ひりひりの正体はコレだな。ボクはまちがいなくこういう傾向がある。こんな気付きたくもないことをわざわざ気付かされたんだから、倉下さんには責任をとってもらわねばなるまい。今度会うときは僕エバを持参するのでサインしてください。なんだそれ。

せっかくなので、もうちょっとだけマジメに考えてみよう。ボクだっていついかなるときでも、自分を責めて自分はダメだと否定しまくるわけじゃない。たぶん、最初は小さな罪悪感を感じているはずだ。「まぁ人間だもの。誰だってまちがいはあるさ」と楽観的に流す。でも、根っから楽観的ではないボクはどこかに罪悪感を大事にしまっている。自分でも気づかずに。そして、またやらかす。検索しなくても、しまっておいた罪悪感がさっと出てくる。「あぁ、自分は同じ過ちを繰り返すダメなヤツだ」という感じで罪悪感は屈辱感へと進化する。

どうせ流せないんだから、罪悪感を感じたときにもうちょっとこだわってどうやって解消するか考え抜いたほうがいいよな。まぁ、それが簡単じゃないからつらいんだけれども。

たしかに考えたいことが増えるメルマガだな。いや、考えたくないことも考えさせられるメルマガかも?まぁ、いいじゃないかブログのネタになったんだし。ブログ書きとしてはうれしいかぎりでしょ。

rashita.net

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