いずれも。

あれもこれも、いずれも必然。

ただ心臓を動かしているだけの状態になっても、生きていたい?生きていてほしい?

bylines.news.yahoo.co.jp

「7年間も意識不明の母を施設で生活させたことを後悔している。もっとはやくやる(殺す)べきだった。自分を産んでくれたママの命を奪うなんて、犯してはならないことだとわかっている。でもママを楽にしたかった」

人の命を奪うのは許されざる罪だ。1人の人間が泣き、笑い、様々な体験を重ねていく可能性を誰かが無にしてしまっていいはずがない。「誰でもよかった」なんていう理由でそんなことをやってのける異常なヤツは論外だ。

では、引用したケースのようにその人が生きているとはいえない状態で生きながらえていたらどうだろう?何の意思表示もすることなく、ただ心臓を動かし、息をしているだけの存在だったとしたら?重すぎるテーマだけど、たまには生きることについてマジメに考えてみることにする。

死んでるように生きるなら、終わりにしたい。

まずは比較的簡単に答えを出せそうな自分がいわゆる脳死状態に陥った場合について考えてみる。ボクは生きていたい。変わり続ける世界を見ていたい。ふれていたい。ワクワクしたい。くだらないブログを書いていたい。でも、何の意思表示もできない状態に陥ってしまったなら、大切な人を苦しめないために、できればそっと人生を終わらせたい。

大切な人が自分の人生を捨てて、思い出にすがって生きていくようなことになってしまうのは、ボクにとって耐え難いことだ。ボクがいなくなっても、やはり思い出にすがるのかもしれないけど、時間はゆっくりとでも流れていくから、いつかは今を生きることができるようになるはずだろう。

終わらせるのは、どう考えても無理みたい。

さて、めちゃくちゃ矛盾することをこれから書きそうな予感がするけど、まぁ気にせずいこう。今度は自分にとって大切な人が脳死状態に陥った時のことを考えてみる。リアルに想像するためにうちの奥さんがそうなったら?と想像してみる。

うーん。ちょっと想像しただけで泣きそう。これはなんて悪趣味なマゾプレイだ。いやー、ありえない。思考停止しそう。がんばれ。なんとかしてブログを書き上げるんだ!

まー、思いっきり矛盾するけど、ボクはたとえ安楽死が認められたとしてもその選択はしないな。もしかしたら、また笑ってくれるかもしれないのに、そんなことできるはずないじゃないか!

ただ、苦しみや痛みが見てとれるような状態だったなら話は変わる。それでも死ぬほど葛藤するんだろうけど、ボクだって犯罪者となってでも死なせてあげようとするんじゃないだろうか。なんか愛犬の安楽死の同意書に震える手でサインした時のことを久々に思い出した。ボクが殺したのか?と思い返しては泣いてたっけ。

いろいろ想像しながら書くことはできるけど、人の命に関わることは実際に遭遇したら、ホントに自分を見失いそうなぐらい衝撃をもたらすから、とんでもない行動に出てしまうかもしれない。

ともかく、今いっしょに笑える日々があることに感謝しよう。元気でいられるからこそやれることを、どんどんやっていこう。

マンガで学ぶ生命倫理: わたしたちに課せられた「いのち」の宿題

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