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いずれも。

あれもこれも、いずれも必然。

内容のないコミュニケーションがうまくできないよう。

なんの意味がある?と考えすぎてしまう。

なんかそれが言いたかっただけみたいなタイトルだが、ボクは内容のないコミュニケーションができなくてときどき悩んでいる。

p-shirokuma.hatenadiary.com

その際には、会話の内容だけでなく言葉を交換すること自体にも重要な意味があることをきちんと自覚して、「こんな会話に意味は無い」などと思ってしまわない事。(シロクマの屑籠)

これを読んではっとした。こんな何ら当たり障りもない会話になんの意味があるんだろう?とボクはよく考えてしまう。人と会う。「今日も暑いですね」と言いかけて躊躇する。いや、人によってはこれぐらいでは暑いと感じないかもしれない。なのに「暑いですね」と決めてかかって同意を求めるのはどうなんだ?しかも、ボクは別にそんなに暑さについて共感してもらいたいわけでもない。じゃあ、そもそも意味なんかないじゃないか。

こうやって言語化するとめちゃくちゃめんどくさい人間だな。正直関わりたくない。まぁ、自分と関わらずに生きていくのはムリだから諦めるけどさ。とにかく、ボクはこんなふうに考えすぎてしまうから内容のないコミュニケーションができない。内容なんかなくていいのに、無理矢理内容を持たせようとしてしまうのだ。誰もそんなこと求めてないのに。

そんな感じだから、何の苦もなく内容のないコミュニケーションができる人については、馬鹿にするどころか憧れさえ抱いている。でも、憧れたりするから余計に難しさを感じてしまってるんだろうなぁ。「髪切りました?」とか言ったことないしなー。勘違いだったらどうしよう?ずいぶん前に切ったのに今さら言う?みたいな空気になったらどうするんだ。だいたい、そんなに人の髪型なんて気にしてないだろ。あー、もうこれぐらいにしとこう。

内容のないコミュニケーションの楽しさは知ってる。

これで終わりにして内容のないコミュニケーションは苦手でも、内容のないブログは得意みたいだな!と罵られるのを待つことにしようと思ったんだけど、もうちょっと書きたいことを思いついたので書いてみる。よく考えてみれば、ボクだって内容のない、いや、なさすぎるコミュニケーションの楽しさは知ってるじゃないか。

うちの奥さんといっしょにいるとき、他愛もない話は山ほどしてるし、意味不明な言葉を発したりもしてる。そんなとき、いちいち「この会話に意味はあるのか?」なんて考えちゃいない。そこにはなんとなく楽しげな空気が漂っているだけだ。そして、これはただののろけだ。

ボクは相当慣れないと内容のないコミュニケーションをとることができないけど、その境界線はどこにあるんだろう。きっとボクはこんな感じだから、相手からしかけてもらって、不器用に乗っかりながらその境界線を超えていくというパターンが圧倒的に多いだろう。数少ない親しくさせてもらってる人たちには感謝しなくちゃいけないなぁ。

たまには「髪切った?」って自分から言ってみよう。そうしよう。