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もうコンテンツを素通りさせない


倉下:それでは第百十二回うちあわせCastをはじめます。今回のゲストは鞘戸コウさんです。よろしくお願いします。
コウ:よろしくお願いします。
倉下:さっそくですが、コウさんはメルマガに書いた連載「Scrapbox知的生産術(仮)」は読んで頂いてましたかね?
コウ:はい。もちろんです。
倉下:思ってたよりも長くなったものの、想定していたものを書ききれてはいないという状況なんですが・・・印象に残ったのはどんなところでしょう?
コウ:え?いや、えーと、そうですね・・・(しどろもどろ)

――――― 妄想おわり ―――――

もし、自分がうちあわせCastで倉下さんと対話していたとしたら、こうなっただろうなぁと想像して苦笑した。

Tak.さんが返したようにさっと何かを返すことがボクにはできない。どうでもいいことならそれでいいけど、自分が興味を持っているはずのことで、こうなってしまうのは、あまりに残念だ。

思えばここ数年、ボクはずっと同じようなことで悩み嘆いている。それは端的に言うと「コンテンツを右から左へ素通りさせてしまう」ということだ。そのとき、何を思ったのかわからない。良いと思った理由がなんだったのかすら人に語れない。

ただ、そのとき楽しめれば良い、と思っているものはいいとして、もっとじっくり味わいたい、もっと深掘りしたい、考えたい、なにか書きたいと思っているものですら、スルーしてしまうからずーーーっとモヤモヤしているのだ。

今は子供が幼くてそんなことはできないけど、ボクはもともと気に入ったものは、しつこいくらい繰り返し見たり、聞いたり、読んだりするタイプで、そうすることでやっと自分の中に取り込めるという感じなのだ。

食べたものの吸収率は異常に高くて、大食ではないのに簡単に体重は増えていく。しかし、情報の吸収率は異常に低いのである。なんとか逆にできないものだろうか?そうですか無理ですか。

いつまでも悩んでいてもしょうがない。一生悩んで、いつか誰かのせいにしたり、女々しい後悔に浸ったりしたくないなら、何か手を打たねばなるまい。

ということで、最近は少しコンテンツとの向き合い方を変えている。

たとえば、2時間のまとまった自由時間が確保できたとする。以前なら間違いなく、よーし!映画見るぞー!という感じだった。そして、その映画がとても面白かったとしても、何が面白かったのかすぐ忘れる。自由時間のすべてを映画を見ることに費やすからだ。

そうではなくて、映画は細切れに見ることにした。シーンが切り替わるところで見るのをやめるのだ。で、気になったところがあればそこだけちょっと見返す。何か思うことがあれば、スマホにメモっておく。

まだはじめたばかりなので、効果は測れないけれど、少なくともコンテンツをしっかり味わうことはできているような気がする。

これは映画に限らず読書でもそうだ。自由時間のめいっぱい読むのではなく、何かを書く、考える時間を意識的にとる。

こんなことはコンテンツに丁寧に向き合いたいと思う人なら当たり前にやっていることなんだろうけど、ボクは今さらのように気がついたのである。

さて、1ヶ月ぐらい経ったとき、ボクは悩み嘆くのをやめられているだろうか?「印象に残ったところは?」と人に問われたとき、いや問われなくてもさっと伝えることができるようになっているだろうか?

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