デジタルノートにまつわる迷走の終わりが見えてきた。

2022年10月25日  2022年10月25日 

ずっと日々思うことや考えたことを書き綴るツールについて迷走を続けてきたけれど、ついにその迷走の終わりが近づいているような気がしている。といっても、ここで「最強のノートツールはこれだ!」みたいな話をはじめようってわけじゃない。そんな妙に高揚した状態で話すことはだいたい2〜3日もすれば、なかったことになるのが常だ。あと、もはや何を見ても聞いても妙に高揚できるほど、ボクはもう若くはない。

なぜ、迷走が終わりそうだと感じているかというと暫くひとつのツールを使い続けていて「これはいけそうだ」というたしかな感触を感じるからだ。そのひとつのツールとはScrapboxである。「なんだScrapboxかよ。そんなの知ってるよ。今さら声高に言ってんじゃねえ」とここで数少ない読者のほとんどが去っていくはずだ。だが、一人でも読んでくれている人がいると信じて話を続ける。

Scrapboxに挫折しまくった日々

実はボクはScrapboxを以前使っていて、あっさり挫折してしまった。『Scraobox情報整理術』を書いた倉下さんが嬉しそうに「アイデアの活用としては今までで一番うまくいっています!」とか「書き溜めたノートは5,000オーバー!」とか言っているのを見ていると、信者のボクもやってやんぜ!と思うのだけど、ちっともうまくいかない。Scraoboxはつながるんです!偶然の出会いがあるんです!なんてよく聞く話だけど、そんなことをちっとも実感できないままボクは何度も挫折した。

あぁボクはデジタルツールが好きだけど、向いてないのだと結論づけて久々に紙に日記を書きつけることにした。紙に文字を書きつける感触、紙をめくってパラパラと読み返す感触、クオリティが安定しない生きている自分の字。これだよ、やっぱりアナログはええのう。わしはアナログ派なんじゃ。そんなことを思いながら、2週間ぐらいがすぎた。

またしても次男の寝付きが悪くなって、寝かしつけるのに1時間を超えることが常態化してきた。よっこらせと手帳を開いて何かを書くことが難しくなり、何も残せない日々がすぎていく。何も残っていない一週間を前にボクは立ち尽くす。何かはあったはずだが何も思い出せない。昨日の晩ごはんすら思い出せないのに、一週間前のランチなど思い出せるはずがない。ちなみに朝ごはんなら思い出すまでもなく、常に食パンである。

いや、そんな何を食べたかなんてことはどうでもいい。そんなことより、幼い子供らの小さな変化を、ささやかな日常をボクは振り返りたいのだ。誰かが「大切なことはわざわざ書き残さなくてもよい。忘れるようなことは大切なことではないのだ」と言ってたけど、ボクの中のSSD(いやHDDか)は壊れていて、大切なこともどんどん勝手に消去されていくのだ。そして壊れていると分かっていても換装することはできないのである。

なぜScrapboxでいけそうだ、と思ったのか?

そろそろScraoboxで「これはいけそうだ」となぜ思ったのか?という話をしないと、たった一人残ってくれている読者もいなくなりそうだ。それは簡単な話でつながりや偶然の出会いを実感できるようになってきたからである。

ボクは大いなる勘違いをしていて、Scrapboxで「これは!」と思ったフレーズやキーワードをリンクしておけばつながる!と思い込んでいたけど、いくら書いてもつながらなかった。そんな長めのフレーズが頻出するはずはないし、狙ったキーワードは自分の意識が強く入りすぎていて、そこから偶然なんてものは生まれないのだ。

何がきっかけだったか忘れたけど「ScrapboxはWikiなんだから、目につく単語をどんどんリンクしてみるか」と思い、素直にやり続けていたらあっという間につながりと偶然の出会いが生まれ始めた。単語を軸になんか前にも同じこと考えてたんだなと振り返れたり、日記をランダムに振り返ることもできるようになってきた。Scrapboxという単語を軸にすれば、高揚と挫折のログが全部読み返せる!(うれしくない)

そんな今、闘っているのは「過去のログを整えたい病」である。ここ最近のログはそうやってつながってきてるわけだけど、過去のログはほとんどリンクがないまま死んでいる。これはなんとかしたくなるじゃないすか。ブクログを使いはじめたら、前から持ってる本を全部きっちり登録したくなるじゃないすか。しかし、それをやりだすと100%嫌になって、うまくいってることが破綻するのは目に見えている。

今は過去を振り返るのはちょっとだけにして、未来をみつめていこう。

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