未来の自分にやさしい記録を残す

2023年9月5日  2023年9月5日 
最近、Obsidianに過去の記録(ほぼ日記のようなもの)を集めている。 

 読み返しやすくなって、過去に自分が考えていたこと、自分をとりまくできごとの再生には、中毒性のある楽しさがある。気をつけないと過去に囚われて、現在がおざなりになりそうなくらいだ。 

 2010年ぐらいの記録として、次のようなものがあった。 

  •  『第9地区』がかなり面白かった 
  • こういう視点のエイリアン映画はあたらしい! 

 2010年の僕は『第9地区』を相当楽しく鑑賞したのだな、というのはわかるものの、残念ながら何がそんなに面白かったのか、何があたらしいのかは全然伝わってこない。小学生の読書感想文のほうが、よほどしっかり書かれてるんじゃないか? 

自分が書いたことなのに、そのときの心情をまったく思い出せない。13年も前のことだから、当たり前といえば当たり前か。

 ただ自分の性格を考えると、言葉にならないほど面白かったから、そんな稚拙な記録しか残ってないのでは?と推測することもできる。いや、ほぼそうだと断言できる。 

これでは僕が『第9地区』を好きな映画として挙げることは絶対にないだろう。好きなSF映画に絞ったとしても、出てこないはずだ。 

 忘れてるようなことは、たいして大事なことではないのだ、という言説があるけど、本当にそうだろうか? 

 僕は映画に関しては「斬新さ」を結構重視するほうだという自覚がある。それなのに「これはあたらしい!」と評している『第9地区』は僕にとって、どうでもいい映画だったのだろうか。 

 僕が人にオススメ映画を語るとき、本当に面白いと思ったものをピックアップして伝えられてるだろうか?まぁ別に僕はそんなに映画通として知られる人ではないので、そこまで悩む必要はないけども。 

 もう一回『第9地区』を鑑賞してみれば僕が見たもの感じたものは、はっきりするかもしれないが、2010年の僕と2023年の僕では感性は異なっているに違いない。少なくとも独身男性と既婚で2児の父では物事の捉えかた感じ方は異なることは容易に想像できる。

 そのギャップを楽しむ機会は永遠に失われた!この大いなる損失をどうしてくれる。2010年の僕よ。 

 今回のことから僕が得るべき教訓は、未来の自分へのやさしさがなければ、過去の自分も報われないということだ。 

 自分の経験を未来の自分が理解できるように書き残しておくこと、それが今まさに手を、心を動かしている自分の努力に意味を与えるだろうし、未来の自分を幸せにするだろう。

具体的にどんな対応が必要かというと、その瞬間は「クソおもしれー!」としか書きようがなかったとしたら、それはそれでいい。少し間をおいて何がクソおもしろかったのかを書いておくことが、未来の自分へのやさしさだ。

 他の誰かに伝える、あわよくば影響を与える、たまにバズったらうれしい、そんなことを考える前に、まず自分のために書くのだ。

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