書くこと

さくぶんはすきじゃない

kohsayato

小学1年生の長男は、学校の宿題として時々作文を書いている。いや、書かされている。さっと書けることはなく、いつも作文ノートを前に鉛筆を持って固まっている。だいたいは奥さんが質問しながら書くことを引き出してあげているのだが、今回は珍しく僕に作文をサポートする役割が回ってきた。ここは文章書くのが好きすぎるパパに任せてもらおうじゃないか!

「さくぶんはすきじゃない」と長男は言う。何を書いたらいいのか分からないというのが、その理由らしい。僕が子供だった頃はどうだっただろうか?はっきりとは思い出せないが、先生がコメントを書いてくれるのが嬉しくて、多少話を盛って作文を書いていた記憶がある。作文が嫌じゃなかったのはたしかだ。ただ、小学1年生のときにどうだったかまでは、さすがに思い出せない。

「みんなで誕生日パーティーをして、楽しかったんだろう?だったら、楽しかったと素直に書けばいいよ」と僕は言った。パーティーといってもケーキを囲んでクラッカーを鳴らしたぐらいのささやかなものだけど、長男はとても喜んでいた。長男が今どハマりしているカービィの絵が描かれたケーキもおいしい!と満足そうだった。そのとき感じたことをそのまま素直に書けばいいのだ。

どう思ったのかと問いかけると、パーティーは楽しかったし、ケーキは美味しかったと言う。「それをそのまま書けばいいよ」と促したけど、長男の手は動かなかった。思ったことを書けばいい、というのは書くことを苦にしない人の理屈だ。そういう人に寄り添わない態度を常日頃忌み嫌ってるくせに、自分もやってしまっている。

「それでいいのかなぁ」と長男。自分が感じたことを書くのにうれしかった、たのしかった、おいしかったという素直すぎる言葉に対してどこか物足りなさを感じるのかもしれない。とはいえ、ここで大人の語彙力を発揮してアドバイスしてしまうと、もう作文が長男の作品ではなくなってしまう。長男の独自性を活かしながら、楽しく作文を書けるようになってもらうために、僕に何ができるだろうか?

「これじゃだめだ」なんとなく納得いかないながらも書き上げた長男は、自分の作文を即座に否定した。「何がダメなの?よく書けてると思うけどなぁ」というと「まるを5こ以上つかいましょうって、せんせいに言われてるけどたりない」と言う。まる?あぁ句点のことか。最低5つの文を書けということらしい。そんなふうにルールが先に来てしまうと、きっと書くのは楽しくないんだろうなぁと思う。

「誰とパーティーしたのかを書いたらどうかなぁ」と提案すると、長男はおとうさんとおかあさんと・・・と一文を書き加えた。これでめでたくミッションコンプリートだ。しかし、任せろと意気込んだ割にはなんとなく消化不良に終わってしまった。そして、僕のやりたいことリストには長男に書く楽しさを教えたい、と書き加えられたのであった。

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