人生において間違ってはいない

それはタスク管理の問題じゃない、だったらなんなのか?そこまではっきりと踏み込むことなく投げっぱなしにした文章を拾ってもらったうえ、紐解いて返してもらう贅沢なできごとがあった。
人をまずは肯定し、何が言いたいのか深掘りしていく。これはもうほぼカウンセリングだ。そんなもんじゃないと言われるかもしれないが、これは受け取り方次第。「そこにある偉業」という言葉に僕がどれだけ救われたことか。
と、ありがとうを使わずに溢れる感謝の思いを伝えたうえで「より良く生きるためのタスク管理についての断片」にふれていく。
仕事上でのタスク管理が健全に行えない状況に今まさに直面して、その憤りも冷めやらぬまま、僕は今の職場に居続けるという自分の選択が間違いだったと断じた。つらい思いをするとわかっていながら、続けることは愚かであり、間違いであるという短絡的思考から出てきた言葉だ。
「苦しい選択をせざるを得ない状況があり、それによって守られるものがあることは間違いない」という現実を丁寧に見つめる言葉を受けて、落ち着いて考えてみる。安易につらさを避けて退職したらどうなるか?かなりの高確率で収入は減少するだろう。家族の生活に少なからず支障が出る。それは僕が最も避けたいことだ。
いま、家族は不自由なく暮らせていて、明日生きられるかどうかと不安を感じてはいないと思う。サラリーマンとして幸せとは言えないけど、人生においては十分に幸せだと言える。だから、自分の選択のすべてが間違いだったというふうに過剰に自己否定するのはよくないよなぁ。
ただ、苦しい選択を自らの意思で実行出来るかどうかというのが、とても重要なことで、こうすべき、こうするしかないのだという強迫観念に囚われていると感じたら、すぐにつらさを避けたほうが賢明だろう。
タスク管理の問題じゃないとしたら、何の問題なのかということも考えておきたい。その答えは簡単でこれは職場のパワーハラスメントの問題なのだ。仕事上のタスク管理は会社や上司の都合で自分が思うようにできなくて当たり前。そこで話し合って納得する、納得はできなくても事情はわかってタスクの優先順位を動かす、無茶な要求を受け入れなきゃいけないこともあるだろう。それは普通のことだ。
「いいからやれ」と降ってくるタスクがすべて緊急かつ重要なのが問題なのである。そして、それに対して正しく主張して闘えない僕の弱さも問題なのだ。と書きながら思ったが、上司がタスク管理して、せめて何をどう指示したのか覚えてくれていれば、少しはマシなのになぁという思いは拭えない。
誰かのせいにしたり、自分がコントロールできないことへのこだわりを捨てきれなかったり、そういった人にはふだん話せないようなことをブログに書いているのは、かっこ悪いけど、自分にとっては良い傾向。ゆるく続けていきたい。