いずれも。

あれもこれも、いずれも必然。

ボクはいじめを見過ごす大人になってしまった。

いじめに対して声を上げられない。

学生のころ、クラス内でけっこうひどいイジメがあった。朝から教室の掃除用具入れにAくんを押し込んで「Aくんは帰りました」と誰かが先生に言った。みんなAくんが掃除用具入れの中に押し込まれているのを知ってるけど、誰も本当のことを言わず、1日中Aくんは掃除用具入れの中で過ごした。ひどすぎると思いながらも、ボクは何も言えなかった。その日だけでなく、Aくんはいじめられ続けたけれど、誰も何も言わなかったし、ボクも何も言わずにいた。

あれから何年がすぎただろう?ボクは今もけっきょく変われないまま、いじめを見て見ないふりをするような大人になってしまった。そうは思いたくなくて考えないようにしていたのだけれど、今日Bさんが会社を去ったあと、帰りの車の中でいろいろ思い返していると、いじめに対して声を上げることができなかった学生の頃の自分から何も変われずにいる自分に気がついてしまった。

本質は何も変わっていない。

Bさんが入社して数ヶ月が経つと、上司の口調が変わり、Bさんに対する敬語がなくなっていき、態度も威圧的に変わっていった。上司は自分の方針に異論を唱えるBさんの声には耳を貸さず、強引にねじ伏せようとする。Bさんも結構自己主張する人だったから引き下がらずにさらに異論を唱え、2人が対話すると常に口論に発展するようになった。

もちろん、権力がある上司が最後には勝利する。わかりましたと言い放ってBさんは席に戻る。ボクはそんな光景を何度も見ていた。客観的に見て常にBさんが正しいわけでもなかったし、あからさまに不快感を表す態度はよくないなとは思っていたけれど、それでも上司の横柄で威圧的な態度は目に余るものだった。どう考えても理屈が通らないことも大声で強引に押し通してくる・・・まてよ?ボクはこんな評論家みたいな立ち位置でいてよかったのか?いいはずがない。だってボクは一応リーダーなんだもの。

Bさんがどんなに理不尽に振り回されていても、ボクは立ち上がって上司に意見したりすることはなかった。自分がいじめられるのが怖いからと、いじめを見過ごしていた学生のころのボクと何も変わっちゃいない。そのころとは違って、Bさんに声かけしたり、愚痴を聞いたりはしていたけど、本質的には何も変わってないじゃないか。

人の人生を狂わせた罪を背負う。

ボクはもう上司に対してはとっくに心が折れていて、なんとか無難にやっていこうと思いながら日々を過ごしていた。そこへなかなか自己主張強そうなBさんがやってきて、ボクは何かが変わるかも?と期待していたのだ。人によりかかるのは情けないなと思うけれども。だから、Bさんがやられていても、心の中で応援しながらも立ち上がって加勢することはなかった。そうしてる間に少しずつ、Bさんは当初の勢いを失っていき、今までに辞めた人たちやボクと同じく、心折られて会社を去っていった。退職理由は親の介護だと言っていた。

ほとんどは上司の罪なんだろう。でも、ボクはできたかもしれないことをやらなかった。人の人生を狂わせてしまった罪を忘れちゃいけない。上司だけのせいにして流してしまっちゃいけない。次こそは!と思うけれど、もう何度もそう思い直している。ヘタレなボクに何かを変える力はあるだろうか。「簡単にあきらめちゃいけない」とか「いじめを見過ごしちゃいけない」とか息子に躊躇なく言える親になれるだろうか。