デイリーノートやめました

 


   急に思い立って、Obsidianのデイリーノートをやめた。最近は空白のデイリーノートがどんどん作られていく日々で、これは無意味だなと感じたからだ。
   ほぼ日手帳に感じたあの無力感をデジタルのObsidianでも痛感させられて、もういいかげん僕はデイリーノート不適合者なのだと認めることにした。そして、それならばとウイークリーノートの運用をはじめた。2週間ぐらい運用してみたが、これはちょっといけそうな手応えを感じる。

   単純に書いていて楽しいと感じるのだけど、それはなぜだろう?
   そうそう。ウイークリーノートをはじめると共に、メモツールをObsidianじゃなく、Apple純正メモに変えたことも、書き添えておかねばなるまい。
   これによって、Obsidianを起動して待つ、という煩わしさから解放され、頭に浮かんだことをさっと書き留めやすくなった。たくさん書き残せるようになったから楽しい、というのはまぁそりゃそうだろう。

   当たり前だが、ウイークリーノートには、1週間のできごとがずらりと並んでいる。上下にスクロールするだけで直近の日々を振り返れるのがとてもよい。  
   ObsidianのプラグインやLogseq でも同じようなことはできるけど、何が違うのか?

   その日だけを見て書いていたら、自動的にまとめて見れる状態になる、というのと、自分で1週間を1ページにまとめて書く、という状態の比較になるが、自分の経験則としては、前者より後者のほうが1週間を見渡しやすいノートができあがる。

   この1ページに1週間のことを書くぞ!と考えると、できるだけコンパクトに書こうという意識が働くらしい(僕の場合は)。できるかぎり、タイトルだけを並べて、内容は新しいノートにリンクして書く。ずらずらと内容をウイークリーノートの直下に書かないようになると、見た目がずいぶんスッキリした。そうやって手早く1週間を見渡せるようになると、過去のノートへの追記頻度が増えたし、今週のノートを見て想起する今日書きたいことも増えてきた。

   もうひとつ良いことはObsidianで僕がノイズだと感じてしまうことが多いデイリーノートがこれからは増えないということだ。僕はObsidianで「ランダムノートを開く」機能をよく使うんだけど、そのとき空白のデイリーノートが表示されるのはあまりにむなしい。もうデイリーノートやめたから、躊躇わず削除してやる。削除、削除削除ォォォォオオ!!

   良いことばかり書いてみたけど、デメリットもなくはない。カレンダーをタップして、ウイークリーノートをつくる → 今週の日付を6桁で書き並べる → 日付ごとに区切り線を入れる → 先週のノートへのリンクをつくる という具合に手間はけっこう増えてしまった。
   Apple純正メモから書いた内容を移すことも必要だし、コンパクトにまとめるには、要約力も試される。

   こうして書き出してみると、手間と報酬のバランスが悪いような気がしてきたが、たぶんきのせい。きのせいだってば。
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